2004年5月19日水曜日

駆け込み寺

昨日の先輩の件だが、真相も判明した。

僕は自分のことはどんなことでも書くが、他人のプライベートについては書くわけにはいかない。
一言、先輩は大学に在籍するのが困難になるような事件を起こしていた、とだけ言っておく。

最近、人に人生相談を求められることが多くなった。
人生相談と言っても、別に僕がアドバイスをするわけじゃない。
ただ、聞いて、理解するだけ。
こういうのを「聞き屋」と呼ぶ。

「留年した。」
「留年しそう。」
「研究室の空気が悪い。」
「大学辞めたい。」
「死にたいわけじゃないが、生きるのが面倒。」
「何一つやる気が出てこない。」

ここに来る人は「気持ちの問題」の一言で切り捨てられるのを非常に恐れている。
僕自身も同様に落ち込んでいるからだろう。
僕に話しても解決にならないことは分かっているはずだが、やはりみんな理解者ってのを求めているのかもしれない。

彼らはみんな「鬱」という言葉を口にする。
以前から鬱という言葉を深刻な精神病として使われることは多かった。
だが、最近ではもっと簡易的、ちょっと落ち込んでいるという意味で鬱という言葉が出てくることが多くなったように感じる。
今年か来年くらいには、「鬱」が流行語大賞に選ばれることになると思う。

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